12/11のツイートまとめ

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coyote_taiyo

ヤバいくらい眠い。続きは明日だな。
12-11 02:58

【備忘録其の十】ここで東京ディスティニーランドなのだが、彼は最後に観客に対して『物語』の新たな意味を提示した。それがいわゆる「大きな物語の終焉」に対する【小さな物語】なのだが、これを受けた奥山漂流歌劇団での奥山京は『物語』の意味を敢えてストーリーのみに矮小化して受け取ったのだ。
12-11 02:57

【備忘録其の九】勿論、個々の感受性と受け取り方ではあるので、あの日にいた観客が全く同じストーリーを紡いでいたわけではないのだが、ある程度の共通項は見いだせたはずでもあるのだ。
12-11 02:47

【備忘録其の八】それは当然、奥山京は主宰者であり出演者でも在るのだから、語り手としての自分を常に意識せざるを得ない。だが観客は受け手であり、語り手の自分を意識する必要は無く、フライヤーに記載のある『何幕何場』を元に作り出される集合意識的な物語を受け取るだけであったはずなのだ。
12-11 02:44

【備忘録其の七】観客に対し、奥山京は「貴方自身が紡ぐ物語です」と伝えたが、奥山京の云うところの『物語』と観客側が受け取った『物語』の間には大きな相違が有ったはずなのだ。何故なら奥山京は『物語』に対してストーリーだけではなく、ナラティブな意味も含ませていたはずだから。
12-11 02:31

【備忘録其の六】奥山漂流歌劇団企画「ぼくらの無人島漂流記」の主宰者である奥山京は表現者である。そのベースに在るのはあくまでも芝居である。今回の「ぼくらの無人島漂流記」は奥山言うところの架空の『一つの物語』を舞台・戯曲になぞらえ幕・場として提示してあった。
12-11 02:24

【備忘録其の五】おそらく東京ディスティニーランドは日常・非日常、現実・虚構の間を行き来する際は、敢えて観客に解るようにしているのだと思うが、あれは非常に効果的であった。やっていることのスタイルの違いもあるのだろうが、一枚も二枚も上手と思わされた。
12-11 01:55

【備忘録其の四】あの日は意図的にと云うべきか無理矢理にと云うべきか、現実と虚構の間を引きずりまわす方法論をとってみたのだが、残念ながら効果的とまでは言えない出来であった。
12-11 01:51

【備忘録其の参】LOGツーマンの日に僕のやりたかったのは、日常から非日常へ到る浮遊感、そして非日常から日常へソフトランディングにて再び戻ってくる感じであった。日常・非日常は現実・虚構と置き換えてもよいが、本来は観客側が気付かぬうちに日常と非日常の往復が出来ればベターではあった。
12-11 01:38

【備忘録其の弐】札幌LOGでのツーマンの日。東京ディスティニーランドが見せたのは芝居ではない。東京ディスティニーランドそのものであった。しかしそれはあくまでも彼の一部を切り取り、捻子曲げ、矮小もしくは肥大化させた、言わば加工された東京ディスティニーランドであった。
12-11 01:27

【備忘録其の壱】まず前提条件。今現在酔いどれている。東京ディスティニーランドとの札幌LOGツーマン。奥山漂流歌劇団企画「ぼくらの無人島漂流記」。宿無ノ以蔵企画「宿無しの夜6」。「大きな物語の終焉」と云う概念。精神的な意味合いとしてのビートニク。
12-11 01:20

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